2011年5月23日月曜日

シー・シェパードが不気味だった件。

昨晩のNスペでシーシェパードのアホっぷりが地上波にさらされることとなった。漁協の人間に向かって「人殺し」と声をかける、嫌がっているのに顔写真を撮ろうとする。金を渡して鯨を離してくれと頼む。作業場所の入江に侵入されないように網を張る漁師に向かって「負け犬!本当は恥ずかしい仕事だって分かっているんだろ?」と叫ぶ。

ちょっと激烈すぎて声を失った。


何がかといえば、こいつらには何の主義主張も無くて、ただ叫びたいだけのことで、あんなにも無駄で意味不明な活動をやっているということが直感されてしまったから。本当に意味不明すぎる。

最大の意味不明は、鯨やイルカを狩ることが野蛮であって人類が早急に手を引くべき虐殺行為というような筋のことを、彼らが平気で口にできるという事実。端的に、人間も食物連鎖の織り成す生態系の網の目の中で生かされている生物だという事実を、彼らは受け入れていない。しかも、鯨は知能が高くて文化もあるから殺してはならないという言い分は、知能も文化もなければ人間を殺しても構わないというアイディアと論理的に等価である。

これに対する漁師さんの言葉の方が圧倒的に納得感がある。曰く、私らが生活するということは、他の生命をいただいて生かしてもらうということ、私らはそういう仕事をさせてもらって、地域の人やお客さんに喜んでもらっている。何も恥ずかしいことはしていない。

漁師の言葉は、人間について、というか凡そ生命活動について考えるならば当然至らざるを得ない結論だ。草を食べるガゼルをチーターが狩る、人間が家畜を屠殺して食べるといった目に見える肉の関係だけではない。ガゼルや家畜が食べる植物も、土壌微生物の働きを経由して、間接的に動物の肉や老廃物を消費している。このようにして、誰かの命そのものか誰かの不必要となったものを、別の誰かが利用するという形で、生態系は循環を保っているのだし、私たちもその一部に組み込まれている。

私の立場からすると、漁師の言い分は、生態系への配慮から素直に導かれるもので、容易に共感できる。よってここで問題にするのは、ことさら捕鯨だけを問題にできてしまう人たちは、どのような世界観の中に生きているのだろうか?ということである。ハンバーガーにするためだけに生かされた牛を食べることと、鯨を食べる習慣が下等だと決め付けることは、どのような思考の下でなら矛盾なく並立するのか?

議論を神に回収してしまいたくなるが少し我慢してっと。

まず、牛はOKで鯨はダメという発想は、生命の重さに大小の区別を設けている。牛は食べるために殺しても構わないが、鯨は高等な知能を持っていて文化すらあるという主張から、どうやら知性によって生命の重さを決めているようである。当然、鯨よりも高等なものとして人間の知能を前提しているに違いない。これは先に述べた生態系の観点からは、やはりいびつなものと映らざるをえない。高度な知能を持つ生命が高級であるという発想もそうだが、そもそも、生命に重さがあるというアイディア自体が、私としては受け入れがたい。

「生命の重み」、それは人間が自分勝手に妄想した価値だ。当の牛も鯨も、ほとんどの場合には私たち人間すらもが、そんな重みや等級などを気にかけて生活するわけではない。庶民は自分と家族を食わせるために必死だし、それで胸を張って生きている人は大勢いらっしゃるわけだ。生命はその本質からして、もっと無自覚で、そしてもっと必死だ。生き延びること、自らの備えた自然を発揮しつくす盲目的な奮闘努力が生命の持つ本性だ。

多数のものがバラバラに存在するところに、等級やクラスを持ち込んで分類したくなるのは、人類の脳が暇を持て余して興じるしょうもないご遊戯。そんな考えにとりつかれているから、そんなことを気にしているから人間は不幸になる。もちろん分類は知性の最も基本的な能力で我々の生活は多くをこれに負っているけれども、それでもこの場合は知性の誤用だと言わせてもらう。

さて、このようなことから私は、反捕鯨団体の活動家が、人間社会内部の「等級」に対しても極めて敏感な人たちだと勝手に結論する。シー・シェパードの活動家は、太地町の漁師に向かって「負け犬!」と素っ頓狂な罵声を浴びせていたのだが、これは日本社会でそれほど有効な罵り言葉と言えないばかりか、むしろ彼が人からもっとも言われたくない言葉だったのだろうなと想像する次第である。

シー・シェパードの活動家のバカさ加減が目立ってしまっているが、彼らの活動を支援している大勢の人たちに思いを馳せて終りにしたい。ウィキペディアからだが、シー・シェパードのスポンサーにはコカ・コーラ、パタゴニア、クイックシルバーと知られた企業が名前を連ねている。コカ・コーラほどブランド・イメージを大切にする企業が、何のリサーチもなしにこうした支援をおこなうとは考えにくい。彼らは、反捕鯨がブランドのイメージ・アップにつながるという確証を持っているだろう。米国民の多数が反捕鯨団体の暴力的な手法に賛同するとは考えたくないが、少なくとも、心情的には鯨やイルカを殺すことに反対している。上の論法を繰り返せば、大多数のコーラユーザーが人間社会内部の「等級」に対して敏感になっている。米国の暗部はどえらいことになっているぞ。

ちなみに、シー・シェパードはどうひっくり返っても牛を殺すなと主張することはできない。マクドナルドを上客としてるコカ・コーラから資金をもらえなくなってしまうからね。


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これ読んでおかないとダメだな。

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