2011年5月11日水曜日

51番目の州ニッポン ― 書評:原発・正力・CIA

原発の父とも言われる正力松太郎の動きを1953年から56年にかけて克明に追跡した著作。アメリカの外交文書(CIA文書)を資料にしているところが画期的。


親愛なるジョン
最近、日本に関するNSC文書の実施の見直しが問題になっている。これは君の注意を喚起しておくべき重要な問題だ。君も知っているようにNSC一二五/六は特に「対日心理戦計画」(PSB D-27)の実施を指示している。(中略)D-27計画の目標を達成するために、もっと何かすべきかどうか意見を聞きたい。
国務次官補ウォルター・ロバートソン





日本は世界で唯一の被爆国である。広島と長崎の原爆のみならず、1953年には第五福竜丸が米国の水爆実験で死の灰を浴びるという事件が起きている。第五福竜丸の無線技師だった久保山さんは「原水爆による犠牲者は、私で最後にして欲しい」と遺言を残して半年後に亡くなり、このことは猛烈な反対運動を引き起こした。

日本が戦争に負けてから55年体制が確立するまでは、労働者や女性の意識が高まり、国の指導者層や米国に対する不信感が噴出した時代であった。前年の52年にはメーデー事件で東大の女学生が一人亡くなっている。何かと不穏な時代で、「革命が本当に起きると思っていた」という年輩の方の回想を耳にしたこともある。

そんなタイミングで原子力発電が推進できたことを不思議に思っていた。もちろん正力松太郎がメディアの力を活用したのだろうとは思っていたのだが。

だが、本書を読んでその見通しが甘すぎたことを痛感した。読売新聞と日本テレビだけだと思っていてはダメなのだ。吉田茂のバカヤロー解散から55年の保守大合同に至る政局に顔を覗かせる正力の思惑と、日本と米国の関係にディズニーまでが乗っかって、そもそもは米国とソ連の開発競争の中で事態は進んだのである。

もう一歩だけ踏み込めば、正力とCIAの関係が明らかにされたことの衝撃は、原子力云々だけで済む話ではない。CIAにとって正力はハッキリとした協力関係のあるエージェントだったことがCIA側の記録で明らかにされたのだ。これは、戦後の読売新聞が日本における反米感情を抑制しようとするCIAの情報戦の一部だったことを意味するし、また53年に放送を開始した日本テレビはその成り立ちからして親米のプロパガンダ機関だったということになるのである。

日本はアメリカの51番目の州であるという自虐的なジョークが、どうやらジョークではなくて国家機密だったという笑えないオチがついてしまった。

んなこと知らなかったぞ!




俺の祖国ニッポンよ、どうかアメリカにならないでくれ。は"親知らず"

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